色彩世界

14日の日記に14-15日の記録を、16日に16日の記録を過去日記しました。プリントなくす前にちゃんと書いておけて良かったー笑 まあSPIの国語のプリントなのでなくしませんけど!


同じところに書いてあったメモを今日の日記にしておきます。以前にid:midori0203がお泊まりに来た日、学校からの帰り道で話した内容です。

http://www3.to/uca (暫定のポートフォリオサイト)に置いてある「白と黒とにわけられない、だから世界は美しい」が発端で、色の世界の話をしました。「白と黒とに〜」と言ったのは「普段嫌われ者であることが多い灰色は、実は白黒という両極端のものを繋ぐ大切なものなのだ」→「両極端の意見がぶつかり合わないために灰色は必要で、それは争いごとを避ける日本人の本能に似ている」という意味と、単純に「世界が綺麗なのは十人十色だからだよ。カラフル万歳!」を意味して呟いています。
それに対して彼女が話してくれたのが、江戸時代の染め物の色の話。鼠色に、ほんの一滴あざやかな色を落として作る色を、例えば紺を落とせば紺鼠、銀鼠、桜鼠、鴇鼠……などと名付け、その微妙な色合いを粋とした話でした。なんかステキ。
参考に色見本のページでも。ぺたり。
そこから、色の名前は数えきれなくて、音のドとレの間は0と1のようにハッキリ分かれたものではなくてグラデーションになっているように、色にも色と色の間のグラデーションがあって、ということは名前のない色というのが必ず存在して、名前がないながらに確実に存在はあって、なんかそれってステキだねという話になりました。
あとは、私が受験生の頃、色彩構成をしていてつきあたった壁の話もすこし。絵の具を混ぜて色を作るんですが、それは誰かが作った色と誰かが作った色を混ぜ合わせて作ったものであって、自分で作った色ではないと感じたことがあったのです。それからというもの自分で納得いく色なんて作れなくて、私のしていることは創造じゃなくて再構築なんだな、と思ったものでした。デザインに限らず、美術工芸ですら、再構築なのだと。
イノセンス」の中で「おんなのこが人形遊びをするのは、自分が創造することの疑似体験をしたいからだ」(女性が子供を生むのも創造ではなく、どこからか与えられたもの)(あ、また信仰系の話してますね笑)というのを聞いて、怖いと思うより納得してしまったことがありました。人間は所詮、創造なんて出来ないんです。だからよりモノの本質を理解して、ステキに組み合わせてあげないといけないんですよね。うんうん、なんか極論な気がするんですが、私の中ではそう考えています。
あとは、「好きな色」「好きな言葉」ってあるけれど、「不必要な色」「不必要な言葉」ってないよね、という話もしました。昔からサイン帳とか書く時に「好きな色は?」の欄に「全部!なきゃ絵が描けない!」と書いていた私はひねくれ者ですが笑

この話題はもうちょっと後日言及してみたいものです。