日本語

SPI対策の授業が、国語のターンになりました。
普段からなんですが、日本語の綺麗さ、細かいところまで手の届く表現を感じては、これぞ日本の誇りだなぁと思います。もちろん、広辞苑に載っている言葉だけで世界のすべてをあらわせはしないから、絵画や音楽、芸術があるのだと思ってはいるのですが。いや、でも言葉も芸術ですよね!
ただ、物体を表すのではない、形容詞や場面を表現するための言葉の場合、その状況を経験したこと、あるいは疑似体験(テレビとか)したことのある人でないと大半が伝わらないのだなと思います。これは言葉だけじゃなく表現は何事もそうですが。そう思うと、いつぞやに椿先生が仰っていた「生死か愛かをテーマにした作品は、売れやすい。評価を受けやすい」というのにも頷けます(この極論は嫌いなんですが……頷かざるを得ない……)。「万人の深層で共有する感覚をうまくキャッチした作品は、多くの共感を得やすい。」とでも言い直したいです。例えば、恋を知らない人なら、バラードを聞いたって何も共感出来ないんですよね。(疑似体験で出来るのかな……?)


昔、ふと思ったのが「言葉は消費される」んじゃないかということ。
中高の頃、おはなしを考えるのが好きだったので、その時に考えたのは「情報の氾濫、今まで口にせずに秘してきたことを表に出す機会が増えたことによって言葉が浪費され、枯渇、使用出来なくなっていく」ような物語。一見ありえないんですが、今あらためて思い直すと、結構ありえます。死語は勿論のこと、言葉の価値はどんどんと軽くなっていっている。「可愛い」なんて言葉はどんなものにでも使えてしまえる簡単な言葉になってしまっていて、口にすればするほどその価値を下げていっている。死語を補うように新しい言葉は増えるけれど、それはあまり美しくないんじゃないかとちょっと思う。

でも「生きろ。」だなんて凄くありふれている言葉が、もののけ姫という作品に命を与えたように、タイミングとパートナーによって凄い光るんですよね……!それは、とても、人間のようで。
人間=言葉? そういえば聖書にありますよねーヨハネ1-1。「はじめに言があった」
イコールじゃなくても、人間を構成するひとつには間違いない。
まとまらない笑